話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

投稿サイト「パンドラの憂鬱」より

「投稿サイト「パンドラの憂鬱」より」

(海外の投稿サイトの投稿をまとめた「パンドラの憂鬱」というサイトがあり、どちらかと言うと日本や日本人を賞賛する日本びいきの人達からの投稿が多いが、褒められると悪い気はしないので、私のお気に入りのサイトとなっている。
記事の内容と言うよりは外国人の反応が面白く、これまでに私の印象に残っているものをいくつかリストアップしてみた。)
(同サイトの新しい記事を見るには下記インデックスからどうぞ)

「パンドラの憂鬱」インデックス (新しい記事のリスト)
http://matometatta-news.net/pandora11.com/

(外国人が不思議に思った日本人の行動)

海外「地震の時は冷静なのに…」 突然の小雨に慌てて逃げる日本人の姿が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3996.html
海外「誰も気にしてないじゃんw」 強めの地震が発生した歌舞伎町の様子が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4572.html

(外国人がほっこりした日本人の行動と日本の光景)

海外「生まれる国を間違えた」 日本のドライバー達が取った行動に海外から賞賛の嵐
http://pandora11.com/blog-entry-2000.html
海外「これが日本の凄さだよ」 ふとした日常の光景に日本の凄さを見出す海外の人々
http://pandora11.com/blog-entry-2385.html
海外「日本は現代のローマ帝国だ」 日本のふとした日常の光景にイタリアから驚きの声
http://pandora11.com/blog-entry-2811.html
海外「日本が愛されるわけだよ」 日本の空港で撮影された1枚の写真に外国人が涙
http://pandora11.com/blog-entry-3386.html
海外「日本は本当に良い国だなぁ」 日本の平和さが凝縮された映像に海外から感動の声
http://pandora11.com/blog-entry-3979.html
海外「そりゃあ日本が愛される訳だ」 日本の一般の人々の振る舞いが世界的な話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3999.html
(翻訳元であるFacebookのサイトはこちら)
https://www.facebook.com/104401537722524/videos/577394420131392/
海外「日本は本当に同じ惑星なのか?」 日本社会の調和を象徴する光景が世界的な話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4652.html

(日本の風景の美)
海外「日本は島国だから独特なの?」 日本を象徴する1枚の写真が外国人を魅了
http://pandora11.com/blog-entry-1799.html

(外国人が感動した日本人の振舞)

海外「これが日本人なんだよ」 日本の航空会社の対応に海外の音楽家から感動の声
http://pandora11.com/blog-entry-2141.html
海外「美しい国だなぁ」 日本の一般の人々の振る舞いの美しさに外国人が感動
http://pandora11.com/blog-entry-2811.html
海外「やっぱ日本人は特別だ」 日本の一般の人々の心遣いが凄過ぎると話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3862.html
海外「これが文明国の姿か」 在日アメリカ人女性が外国人にも寛容な日本社会を絶賛
http://pandora11.com/blog-entry-4048.html

(外国人が驚いた日本)

海外「こんな国他にはない」 47都道府県の名産品リストが外国人に大好評
http://pandora11.com/blog-entry-1668.html
海外「こんな国民が他にいるか?」 世界213カ国をイメージした着物に各国から感動の声
http://pandora11.com/blog-entry-3913.html
(KIMONO PROJECTのサイトはこちら)
https://kimono.piow.jp/kimonolist.html)
海外「やっぱ日本語は面白い!」 BBCも驚く日本語にしか存在しない表現が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-3914.html
中国「日本の影響は明らかだ」 現代中国語の8割が日本語に由来するらしい…
http://pandora11.com/blog-entry-4471.html
中国「日本語って凄いなw」 日本語がいかに凶悪なのかが一発で分かる画像が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4639.html

(外国人が日本を好きになった日本の光景)

海外「日本は唯一無二の国だ」 日本のありふれた日常風景が外国人の価値観を激変させ話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4629.html
海外「日本は本当に自由だった」 外国人だけが気づく日本人女性の服装の特徴が話題に
http://pandora11.com/blog-entry-4633.html

(外国人が日本のスポーツチームのマナーを賞賛)

海外「日本人は民度が違う…」 日本人の国民性をFIFAが『常に超一流』と大絶賛
http://pandora11.com/blog-entry-4647.html
海外 日本人の国民性を象徴する1枚の写真がアフリカを感動の渦に
http://pandora11.com/blog-entry-4658.html

(オマケ)

海外「日本は本当にいい国だ!」 天皇陛下を目撃した日本の高校生の反応が大反響
http://pandora11.com/blog-entry-3239.html
海外「日本人は恵まれ過ぎだ!」 日本の本気の遊び心が外国人のハートを鷲掴みに
http://pandora11.com/blog-entry-4655.html

 

 

 

女性ことばについて(「女ことばってなんなのかしら?」)

女性ことばについて(「女ことばってなんなのかしら?」)

先日本屋を覗いていたら、「女ことばってなんなのかしら?」と題した本があった。(平野卿子著、河出新書)
タイトルが当方の関心事でもあったので、早速買ってみたが、やさしい丁寧な語調で書かれており、読みやすかったので一気に読み終えてしまった。
この本の中で、なるほどと思ったところは数多くあり、全てを列挙することは出来ないので、要点及び面白かった箇所のみを抜粋して記しておく。(著者は翻訳家だけに資料となる本も数多く読んでおり、また外国語、文化にも精通しているようなので、本の内容は面白かった。)

〇日本に女ことばが存在する理由 (日地谷キルシュネライト氏の感想)

「性差」というカテゴリーは、日本においては重要な、いやむしろ決定的とも言える基準であり、日本語を形成している他の重要な特徴と比較しても、より絶対的な要素であると言えるかもしれない。
当たり前のように男性と女性を区別する発想は、日本の文化の中に深く根を下ろしている。それだけに、男女を区別しようとする発想を克服することは、日本社会にとってはひときわ困難なのではないかと考えられずにはいられない。

〇女ことば(この本の中で筆者はあえてこの表現を用いている)の特徴
・特有の終助詞を使う (「のよ」「わ」「かしら」「わよ」など)
・訛った母音を使わない (「うるせえ」「知らねえ」など)
・卑語や罵倒語を使わない (「尻」(ケツ)「畜生」など)
・接頭辞「お」をつける (「お砂糖」「お花」など)
・感動詞は「まあ」「あら」など
・敬語をよく使う

(現在女言葉として認識されている「だわ」「のよ」などの起源は、明治時代の女学生の話し言葉で、当時は下品で乱れた言葉だとされていたが、その後「日本女性は丁寧で控えめで、上品だという「女らしさ」と結び付けられ、それにはやわらかい言い方が適している」ということで、このような話し方が女性言葉として広まるようになった。)

〇女ことばの制約
・悪態がつけない
・命令が出来ない

(つまり、女性言葉は、控えめ、遠慮したものになっているので、女性の言動を制約のあるものにしているということ。)

〇西洋におけることばの性差 (女らしい言い回し)

西洋には日本のような形での女ことばは存在しません。しかし女性らしい話し方を強いられるのは日本だけの現象ではないのもまた事実なのです。
ドイツの心理学者ウーテ・エーアハルトは、その著書の中で女性の話し方の例をあげ、これらを典型的な「女らしい言い回し」だと指摘しています。

・「あなたもそう思わない?」
断定しない。付け足しのような言い方をしたり、発言の最後を質問で締めくくったりする。そうすることで人間関係を安定させようとするからだ。重要なことは誰も傷つけないこと。自分の意見を主張するより、まわりを優先する。
・「ひょっとして今日時間ある?」
「ひょっとして」はなくても意味は変わらないのに、多くの女性は用心深い口の利き方をする。相手の同意が得られない場合にすぐに撤回できるようにとの配慮からだ。
・「もし誰も反対でなかったら・・・」
もってまわった言い方をする。女性がこんなに遠慮深いのは、幼いころから、へりくだったものの言い方をするように教育されており、生意気な態度をとると、女の子の場合は批判されてしまうからだ。
・「今晩どこへ行く?」「なにをしましょうか?」
要求する代わりに質問する。
これは相手に従わせることを諦めた女性特有の話し方であり、いたるところで耳にする。
・「ほんとうは・・・だけど」
これは裏返しの表現である。「本当は約束があるんだけど・・・でも、いいのよ、断っても。」
要するに、「わたしはあなたの言う通りにする」と告げているのだ。
・「飲みに行く?それとも映画の方がいい?」
内心映画に行きたいと思っていても、こういう言い方をする女性は多い。そして本当は何が言いたいのか察してくれるよう、相手に求めているのだ。

*女性を縛っているのは、「よ」「わ」「ね」などの語尾や、「お醤油」といった言葉遣いではなく、「女らしい言い回し」(力関係が反映される話し方)なのです。

*生粋の女ことば話者であるわたしは、これからも女ことばを使い続けます。そのことに少しも抵抗感はありません。「そうだ」ではなく「そうね」と言おうと、「いいか?」ではなく「いいかしら?」と言おうと、それはたいした問題ではないからです。
重要なのは、「女らしい言い回し」をやめてきちんと自己主張をすることなのです。

〇西洋における女性名詞、男性名詞、中性名詞 
 (参考になるがここでは省略)

〇キリスト教社会の基本単位は、男と女のカップルです(これは聖書の影響によるもの)。でも、カップルで行動する社会って、考えようによっては結構不自由なものではないでしょうか。
そこへいくと、日本は本当に自由です。昔から「亭主達者で留守がいい」というように、日本は女と男が別々に行動する国なのです。日曜日は夫はゴルフ、妻は女友達とランチや映画、なんてことはざら。夫は家で「お留守番」という場合もあり。いや、それどころか妻が夫を残して女友達と旅行に行くことも珍しくありません。
西洋諸国が「カップル社会」なら、日本はさしずめ「男女棲み分け社会」といえるでしょう。けれども根底にある考えは同じです。どちらにも「女は愚かで弱い」という大前提があり、それが西洋では「だから、俺の傍を離れるな」となり、日本では「だから、ひっこんでいろ」となっただけのこと。

〇日本語の女と男に関することばは、釣り合いの取れていないことが非常に多い。非対称といえば聞こえがいいですが、実態はほとんどが性差別なのです。

「女」に比べて「男」はプラスイメージを帯びることが実に多い。
たとえば、「男の中の男」とはいっても「女の中の女」とはいわない。ほかにも「男一匹」「男が惚れる」「男が立つ」「男が廃る」「男になる」「男を上げる」などなど。ここに共通しているのは「男=立派な人間」のイメージです。
そうそう、箱根駅伝の「男だろ!」もありましたね。「俺を男にしてくれ」も同じ線上にあります。「私を女にしてください」?そんなことは普通言わないし、もし言ったとしたら、違う意味にとられてしまう危険があります。
いっぽう、「女」はどうでしょう。「女々しい」や「女の腐ったよう」「女子ども」「女にしておくには惜しい」など、ろくなものがありません。「女だてらに」というのも「勇敢だ」と評価するより「女のくせに生意気な」のニュアンスを含むことの方が多いですね。

〇「かわいい」は最強
日本の女を縛る点で「かわいい」はまさに「魔法のことば」です。日本男子ほどかわいい(幼い)女が好きな種族はいません。それはまた同時にかよわく受け身的な存在を愛することでもあります。
清少納言は「なにもなにも小さき者はみなうつくし」といっていますが、この「うつくし」は現代語の「かわいい」と同じ意味です。そして室町時代以降は「うつくしい」は現代語と同じ「美」を表すようになり、かわってそれまで「哀れで見ていられない」「かわいそう」という意味だった「かはゆし」が変化して「かわいい」になったといいます。
日本人はどこまでも「小さく、可憐で弱々しい」ものが好きなようです。

そもそも日本では、こと女に関する限り、「強い」ということばはけなすときに使われます。強い女は愛されません。気が強いのも、意志が強いのも、全てダメ。強くてもいいことになっているのは、「芯」だけ。控えめでたおやかではあるけど芯の強い女を男たちは誉めそやします。

西欧では逆に成熟している「大人の女」が好まれます。従って、女の子などは高校生ともなると、大人として見て欲しいということで胸の谷間をみせようとしたりしますが、これは西欧では女と男が早くから性的な存在となっているからです。

〇ばあさんとじいさん
日本では「頑固じいさん」はあっても「頑固ばあさん」とはあまり言いません。自己を主張しようとする女性は「頑固ばあさん」ではなく「意地悪ばあさん」になります。これにはわけがあります。頑固はすなわち信念の行きつく先だからーー男は男らしく信念を曲げずに生きろ、まわりを気にするな、正攻法で行けとなります。
かたや女は、いつだってまわりを気にしながら生きていかざるを得ません。ですから、自己主張をしようとするときは、正攻法ではなく、目立たないように裏から手を回そうとすることが多くなります。で?行きつく先はーー意地悪。

(筆者はこのように述べているが、橘玲氏がその著書「女と男」(文春新書)で言うように、意地悪というのは(「直接的な攻撃=暴力」に対して)「間接的な攻撃」と理解される。女性の場合、「直接的な攻撃」はあまりせず、「間接的な攻撃」となるのは、外からは分かりずらく、意識的あるいは無意識にごまかすことが可能だからだろう。つまり、この点に於いては筆者の結論は間違ってはいないと言える。)


以上、この本の要点及び当方が面白いと思ったところを記したが、ともかくこの本で述べていることについては、その説明も分かりやすく理解しやすかったが、当方があれっと思ったところが二か所ほどあった。(どちらも本の終いの方での記述だったので、筆者も疲れてきたのだろうか。)

ひとつは、「女の敵は女?」「女は嘘がうまい」「女は嫉妬深い」という箇所で、筆者はいずれも男たちの企みから生まれた言葉だと述べているが、その説明がどうもしっくりこない。
言うまでもなく、これは女性全てがそうだと言うということではなく、「一般的に」「概して」「どちらかといえば」ということで、論拠はと言えば科学的なものではなく、経験則から来たものであろう。
勿論男にもこのようなことはあるし、また多くの場合男の都合で発せられる言葉だと言うことは否定しないが。

もう一つは、「女らしさ」と「男らしさ」についてで、当方はこのこと(及びこの表現)を肯定的にとらえているが、筆者は否定的に見ているということ。
筆者は、あるジェンダー史家の説を参照し、そもそも「女らしさ」や「男らしさ」は存在するのでしょうか?私たちがそう思わされてきただけではないのでしょうか?と疑問を呈している。
脳の性差についても、「脳の性差はあるが平均値で何とか示せる程度」「脳は体ほど明確に男か女かのどちらかではなく、両者が入り混じるモザイク」という見解について、これ(性差のオーバーラップ)をどちらかというと性差を認めないという方向で解釈してしまっている。
筆者は「話を聞かない男、地図が読めない女」という本を面白く読んだ記憶はあるとしているのだから、同時に男女のホルモンの働きなどについての考察などがあれば、もっと違った結論になったと思うのだが。


(参考)
男女の言葉づかいの違いについては、当方、別のブログでも前に考察したことがある。

「男女の差」(声の違い、言葉づかい)

 

 

 

なぜ戦争を繰り返すのか

なぜ戦争を繰り返すのか

6/18のNHKスペシャルのテーマは「なぜ戦争を繰り返すのか」というものだった。
人類は過去3,500年間で戦争、紛争を1万回繰り返し、総死者数は1億5千万人だったとのこと。

このテーマは私が常々抱いていた疑問だったので興味をもって視聴したが、番組はあるホルモンが影響しているということに焦点をあてたものだった。
そのホルモンというのは「オキシトシン」。
これは(3つの「幸せホルモン」のうち)「絆のホルモン」と言われ、他者への共感や協調性をもたらす物質だが、これが状況により攻撃性をもたらすことになるという。

そして歴史的には、「飛び道具の発明」と「食料をめぐる争い」が関係しているとのこと。
人類の歴史において、食料確保には何人か集まって共同作業をしたほうが有利だということで集団を作ったが、そこに別の集団が来ると、食料をめぐり争いが生じたりする。

また、飛び道具は、当初は「槍」程度だったものが、「弓矢」「鉄砲」「大砲」「ロケット」「ミサイル」と長距離を飛ぶものへと進化していった。これら道具を使った時に、対象が近距離である場合は相手の損傷も目に見え、その痛みも感じることが出来るが、対象が目に見えなくなると相手への共感力も弱まり、攻撃への抵抗感も無くなってくるという。

そしてオキシトシンだが、マウスを使った実験では、出産直後のマウスはオキシトシンの分泌が盛んに行われ子に愛情を注いでいるが、そこに別のマウス入れると、(我が子を守るため)そのマウスに対してものすごい攻撃性を発揮するとのこと。これはオキシトシンの働きが、守るべき相手とそうでないものを区別する線引きを超えて攻撃性に転嫁したものと考えられている。

別の例として、「トロッコ問題」のテストがある。
暴走するトロッコの線路の先が二つに分かれており、その分岐点に切り替え装置がある。分岐点の先の一方をAとし、他方をBとする。Aには数人の作業員がおり、Bの方は一人である。
そしてこの絵を被験者に見せて、どちらに切り替えるかを質問するのだが、Bのほうの一人に外国人の名前と自国民によくある名前をつけた場合、被験者にオキシトシンを鼻から吸引させる前は、どちらの名前でも一人を犠牲にするという傾向に違いはなかったが、オキシトシンを吸引させた後だと、自国民を犠牲にする傾向は明らかに減少し、逆に外国人の方はやや増加するという結果になったという。
これはオキシトシンの働きで、自国民を助けようという気持が高められ、その一方外国人に対しては、線引きをして犠牲になってもやむを得ないと思う傾向が強められたと考えられている。
そしてこれは仲間を守ろうする意識によるもので、敵対心から来るものではないと推論されている。

十七世紀に三十年戦争といわれる宗教戦争があり、死亡者は約800万人ともいわれているが、この時代は大量殺戮の兵器が発達していなかったにもかかわらず、これほどの被害者を出したのは、活版印刷によるビラが大量に配られ、このようなマスメディアによるプロパガンダが大きく影響したと見られている。
戦争は、自己を犠牲にするリスクがあるにもかかわらず、仲間を守るために敵を攻撃するのは、オキシトシンによる共感力の暴走によるものと考えられてる。
そしてプロパガンダは、他の集団を敵視したほうが自分の仲間同士の結束が強まるとの考えから行われる。

(*)
(これは今でもよく使われている手法で、例えば韓国は、政権基盤が弱まってくると、必ず日本悪者論を持ち出してくる。ウクライナ戦争では、ロシアはウクライナのネオナチとの戦いだとして国民を扇動している。過去日本でも太平洋戦争の時、欧米を鬼畜米英と言い国民を洗脳していた。)

以上、番組の中で私が興味を持ったところを記載した。

番組のテーマが「なぜ戦争をするのか」ではなく「なぜ戦争を繰り返すのか」だったので興味を持ったのだが、それにはホルモンが影響しているとのことで、ある程度納得できる面があった。
つまりホルモンの影響で脳の働きがそのように作用してしまうのであれば、理性では制御できない不可抗力的な面もあるからである。

(戦争、紛争の原因としては、「食料の問題」をはじめとして、他に「民族問題」「宗教問題」「経済問題」「領土問題」「政治思想の違い」「主義主張の違い」「権力の追及」などいろいろ考えられ、数えだしたらきりがないが、一部を除いて(権力の追及など)これらは理性をもって妥協すれば解決できる問題ではないかと思っている。)

 

(参考)

主なホルモンの働きについては、当方の別のブログ「男と女」の中に、「ホルモンについて」としてまとめてある。

ホルモンについて

 

 

女らしさと男らしさ

女らしさと男らしさ

少し古い話になるが、昨年12/5に朝日新聞「声」欄に女子高生による次のような投稿があった。

「「女性らしく」は古いですか?」

「高校でジェンダー平等について学習した。「女性はこうあるべきだという考えは古い」そうだ。確かに育児は女性などという考え方は是正すべきだが、「女性らしくありたい」という考えまで否定される気がする。「家庭に入りたい」なんて言えなくなった。結婚して家庭に入りパートで働く、私の母のような人が生きづらい世の中なのではないか。

私は大学に進学し、卒業後は仕事を持ちたいと思っている。その一方で結婚後は仕事をやめて育児に専念したいという考えもある。このような考えは「女性も自立するのが当たり前」という風潮のなか、冷ややかな視線が向けられている気がしてならない。女性らしく自立するとはどういうことなのだろう。」

また、今年4/23の朝日新聞「天声人語」には下記記事があった。

「赤いランドセル」

「緑に紫、黄色とカラフルなランドセルが百貨店の売り場に並んでいた。来春の入学準備がもう始まっているのだとか。赤いランドセルを眺めていたら、店員に「お嬢さんですか」と話しかけられた▼何年も昔の、我が子のランドセル選びを思いだした。入学前の兄についてきた幼い次男は真っ赤なランドセルを背負い、これにしたいとご満悦。つい「女の子がよく選ぶ色かもよ」と言ってしまったのだ。後悔が残る▼「男の子/女の子だからと思うことがあるか」。小学5、6年生を対象にこんな質問をしたところ、4割が「そう思う」と答えたと、東京都が先月公表した。この子どもたちは、親や教師から「男の子/女の子なんだから」と言われた経験を持つ割合が高かったそうだ」(以下略)


「男らしさ、女らしさ」、「男だから、女だから」、この二つは同じようで微妙に違う気がする。

「男らしさ、女らしさ」というのは、男女の違い、特性(性差)を取り上げた表現で、どちらかというと自然発生的な客観的視点を感じる。一般的に、子供は母親には「やさしさ」、父親には「厳しさ」を感じるものだが、この特性は歴史的に、母親の子育て、父親の狩りなどという役割分担から生じたものだろう。従って、この表現には否定的要素はほとんど含まれず、それぞれの特性の良い面を取り上げて、誉め言葉として使うことが多い。

一方、「男だから、女だから」というのは、「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という、社会的に作られた概念で、科学的根拠もないまま社会通念化していったものと言える。この表現をするときは、その場面がどちらかというと否定な場合が多く、またその背景にある基準はその人が思っている社会通念で、これは時代とともに変わり得るものである。
そしてこの表現だが、これがエスカレートすると「男のくせに、女のくせに」「(雄々しい)、女々しい」となり、男の場合は、(ある意味期待感などもあって)それほど問題にはならないが(「雄々しい」の場合はむしろ誉め言葉)、女性の場合は、女性には極めて否定的な要素が含まれており(見下した感じ)、ましてや「女々しい」となると人格の否定にもなり、女性からしたらたまったものではない。従って、これは「男女平等に反する」「差別だ」ということになるのは当然のことであろう。

「男らしさ、女らしさ」についてついでに言うと、一般的に女性は自分を魅力的に見せたいという本能、欲求があり、「声」欄の投稿でも、「認知症でもおしゃれ忘れぬ母」「おしゃれは我慢、でも痛む足(ハイヒールのこと)」などというものがあった。
しかし男は、一般的にファッションなどにはあまり興味はなく、化粧などは考えもしない。
「男は出来るだけ他人と違わないように装い、女は他とは違うように装う」という言葉があるが、確かに社交パーティーなどの会場を見ても、男はカラスの集団で、女性は個性豊か、華やかで花が咲いたようである。

ともかく、人はそれぞれ異なる存在であり、型にはめることは出来ず、どうであろうと自由であって然るべきである。

ところで、冒頭で述べた女子高生の投稿だが、極めて冷静に事態を見つめ感想を述べていると思う。
近年「男女平等」「男女差別」という言葉が乱用され飛躍した判断となり、男女の特性の存在、それぞれの良さまで否定するような意見も見られるようになっている。
そしてこのような主張が幅を利かせ、この飛躍した判断がこの女子高生のような感想をもたらすことになっているのだろう。
男女平等は当然のことだが、昨今逆の意味での差別も見られ、世間がそれにおもねるような傾向も感じられるが、どうだろうか。

ということで、「声」欄の投稿には次のようなものもあったので記しておく。

「男性に厳しい風潮に疑問も」(2022/9/9の男性からの投稿)

「携帯電話のCMで、娘に「どうしてパパと結婚したの?」と尋ねられた母親が、電話料金が割引になるからと答える場面がありました。こうしたCMは、状況設定が逆であれば、つまり男性から女性に対する発言であれば、女性蔑視と受け取られかねないものです。

最近は一般に、男性が女性を一方的に虐げているとの批判が目立つと感じますが、今回のCMのように、男性には厳しく女性には甘い表現もあります。男性たちが感じているつらさが配慮されることが少ないのではないでしょうか。例えば入浴施設の脱衣場に女性従業員が入ることに不快な男性がいても、そうした意見はあまり話題に上りません。「それくらいのことで」と男性のわがままのように言われることもあります。

私の投稿も、「まだまだ男性中心社会なのだから仕方ない」と反論されるかもしれません。しかし「いつも女性はかわいそうな被害者、男性は卑劣な加害者」というのも、ステレオタイプな思い込みではありませんか。」


(追記)

男女の違い、男女差などについては、当方の別のブログ「男と女」で考察しているので、時間のある方はどうぞ。
(ここには「男女平等・女性差別とは?」という項目(記述)もあります。)

男と女(目次・はじめに)

男女平等・女性差別とは?

 

 

LGBT及び性同一性障害について

LGBT及び性同一性障害について

LGBT理解増進法案」が6/16に国会で成立した。
昨今このLGBTという言葉は世界中で取り上げられ流行語のようになっているが、ここではこのLGBTについて考えてみる。

[LGBTとは] (セクシャルマイノリティ性的少数者)を指す言葉)

L…Lesbian (レズビアン:女性同性愛者)
G…Gay (ゲイ:男性同性愛者)
B…Bisexual (バイセクシュアル:両性愛者)
T…Trans-gender (トランスジェンダー:身体的な性別と自認している性別が異なる)
Q…Questioning (クエスチョニング:性自認性的指向を決められない、迷っている)

[セクシャルティ(性のあり方)の4要素]

[生物学的性] (体の性)...外性器、内性器、性腺、染色体等の分化状況
[性自認] (心の性)...自分の性別に対する認識、確信
[性的指向] (好きになる性)...どの性別を恋愛や性愛の対象とするか
[性表現] (表現する性)...服装、話し方、振る舞いなどの社会的性

性同一性障害」と「トランスジェンダー」の違い

[性同一性障害]

医学用語(医学的な疾患名)で、
「身体的な性別と自認している性別が異なる」という点ではトランスジェンダーと同じだが、
性同一性障害は、
「自分の認識している性と身体的性別が一致しない状態」
性自認と異なる自身の身体に対して強い違和感や嫌悪がある状態」
つまり、
「心と身体の性別を一致させたいと思っているかどうか」という点に違いがある。

(*)
性同一性障害は、Gender Identity Disorder (Gender [性] - Identity [同一性] - Disorder [障害]) の訳語。
後日WHOは「性同一性障害」を「精神障害」の分類から除外し、「性の健康に関連する状態」の「性別違和」「性別不合」に変更した。英語では「Gender Dysphoria」と言い、Dysphoriaは「違和感」「不快」を意味する。

[トランスジェンダー]

一般的には、生まれたときの性別と自分で認識している性別が一致しないが、外科的手術は望まず、心と身体の性別を一致させたいとは考えていない人のこと。

(*)
トランスジェンダーは、ラテン語で「乗り越える」や「逆側に行く」を意味する「トランス」と、英語で「社会的性別」を意味する「ジェンダー」を合体させた言葉。

(*)
トランスジェンダー性同一性障害の違いは、「心と身体の性別を一致させたいと思っているかどうか」ということになる。心と体の性別に差があるトランスジェンダーのひとつに、(心と身体の性別を一致させたいと望んでいる)「性同一性障害」があると考えても良く、従って、トランスジェンダーという言葉の方が、性同一性障害という言葉よりも、広義の意味をもっていると考えられる。

(*)
性同一性障害」は医師から診断されるものだが、トランスジェンダーは「精神疾患」ではないとWHOが認めており、日本では性別適合手術をする場合には、医師の診断が必要となる。(性同一性障害と診断されることになる)

[セクシャルマイノリティ(LGBT)の割合] (データの出所によってバラツキはある)

日本:   約10.0%
アメリカ:  約3.8-4.5%
イギリス: 約2.0-6.5%
フランス: 約7.0%
ドイツ:   約7.4-11.0%
スペイン: 約14.0%
オーストラリア:約3.4%

LGBTの原因についてChatGPTに聞いてみた)

ChatGPT
LGBT性的指向性自認は、多くの要因の結果として現れます。現代の科学と専門家の見解に基づいて、いくつかの要因がLGBTの個人や集団に関与している可能性があることが示唆されています。以下に一般的な要因をいくつか挙げますが、これらは全ての人に当てはまるわけではなく、個人の経験や環境によって異なる場合があります。

遺伝的な要因: 
一部の研究は、遺伝子や遺伝的な要素が性的指向に関与している可能性があることを示唆しています。ただし、特定の遺伝子がLGBT性的指向を直接的に決定するわけではなく、複雑な相互作用や環境要因も関与している可能性があります。

ホルモンの影響: 
一部の研究は、胎児期や幼児期におけるホルモンの露出が性的指向に影響を与える可能性があることを示唆しています。ホルモンのバランスや受容体の違いが性的指向の多様性を引き起こす一因となる可能性があります。

社会的・心理的要因: 
社会環境や個人の心理的要素も、性的指向性自認に影響を与えることがあります。家族や友人、文化的な価値観、教育、個人の経験などが関与することがあります。

生物学的な複雑性: 
性的指向性自認は複雑な現象であり、一つの単純な要因だけで説明することはできません。個人の経験やアイデンティティは多くの要素の組み合わせによって形成されるため、一因ではなく複数の要因が絡み合っている可能性があります。


私の人生哲学は「人は他者に迷惑をかけない限り、どうであろうと、何をしようと自由である」ということなので、LGBTについては特にコメントすることはないが、下記いくつかノートしておく。

[NOTE]

・日本でのLGBTの人の割合は約10%のようだが、思ったより多いなという感じ。(欧米と比べても多いなという感じ。)

同性カップルの場合、(私の印象として)女の子の場合は可愛いと思うのに、男の場合は気持ち悪いと思うのは何故だろうか。
(このように言うと非難を受けるかも知れないが、個人的感情で、特に男の場合は生理的に受付けられないので、それは間違っていると言われてもどうしようもない。かつて同じようなことを言って大バッシングを受けた首相秘書官がいたが、彼が間違っていたのは、公的な立場にいながら公の場でそのような発言をしたこと。)

・大分前の話だが、日本では仲の良い女の子同士が手をつないで歩いてるのは良く見る光景だが、私の横にいたアメリカ人がこれを見て驚いていた。アメリカではほとんど見かけないとのことだったが、多分その後同じような光景を何回も見て、彼は日本はなんとレズビアンの多い国だろうと思ったことだろう。(私が女性同士のカップルを見ても別段違和感を感じないのは、このような光景を見慣れているからかも知れない。但しオバサンはダメ。)

・以前友人と二人でドライブ旅行して旅館にチェックインしたとき、奇異な目で見られたことがあった。(部屋は二間続きで別々に寝たが。)女性同士なら同じ部屋で寝泊まりするのは普通だが、男同士だとやはりそのような目で見られるのだろう。(これが世の常ということ。)

・10年ほど前はLGBTという言葉に、「サンドイッチ?」「それはBLTですね」、「電球?」「それはLEDですね」と、当時はその程度の認知度だった。(杉山文野氏)

トランスジェンダーの人たちは、普通の人たちが思っている以上に今の社会で不自由を感じ、悩み、苦しんでる。LGBTは自殺リスクが高いが、当事者が弱いからか、自殺に追い込まれるほどプレッシャーをかけ続けてきたマジョリティーの課題なのか。それは後者だと思う。(杉山文野氏)

トランスジェンダーであることをカミングアウトするのは、声を上げなければ理解されず、何も変わらないから。(杉山文野氏)

LGBT迫害の過去を知ることが大切
(オーストラリアの「ホモ狩り」、ナチスドイツの「ホロコースト」の標的となったこと、資本主義陣営で共産主義者の同調者として「赤狩り」に遭ったこと、など)(李琴峰氏)

・23年5月時点で国連加盟の64カ国が同性愛行為を犯罪としたり、事実上の犯罪とみなしたりしている。これはアルジェリアカメルーンなどのアフリカ、アフガニスタンバングラディシュなどのアジア・中東に多く、死刑とする国もある。(新聞記事)

・女性用トイレの利用に関して、「心は女性と偽って男性が入ってくるのでは」との疑念があるが、スウェーデンでは、男女共用のトイレが普通。(明確に男女に分かれたトイレがあるのは、ストックホルムの空港だけ。そこでも場所によっては共用とのこと。日本でも列車や飛行機、コンビニなどは共用だが。)(新聞記事)

 

 

同性婚について

同性婚について

先日(2023/6/8)本件についての福岡地裁の判決が出たことで、新聞紙面でも同性婚についての報道、論説がまた活況を帯びてきた。
2019年に全国5地裁で起こされた訴訟は、同性婚を認めない民法、戸籍法は憲法に違反するかどうかということで、争点として対象となった憲法の条文は主に下記3つとなる。

(1) 憲法24条1項 「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」
(2) 憲法24条2項 「婚姻や家族に関する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して成立」
(3) 憲法14条 「法の下の平等

判決は、(1)に対しては5地裁とも全て合憲、(2)に対しては札幌、大阪地裁は合憲、東京、福岡地裁違憲状態、名古屋地裁違憲、(3)に対しては、大阪、東京、福岡地裁は合憲、札幌、名古屋地裁違憲というものであった。

朝日新聞は6/9の社説で、「憲法に違反するとの指摘を、いつまで放置するつもりなのか。国会は直ちに是正に動かねばならない。」と述べており、また主要7か国(G7)で同性カップルに対して国として法的な権利を与えていないのは日本だけで、世論調査でも同性婚制度に肯定的な意見が、否定的な意見を上回っており、同性婚を法律で「認めるべきだ」が72%で、「認めるべきではない」は18%にとどまったと報じている。
しかし私自身はこの同性婚というものにどうも違和感を感じて仕方がない。

同性カップルが好きあって一緒に住むのは自由だが、何故結婚(法律婚)という形にこだわるのか。

これについては、6/9の朝日新聞の「いちからわかる」というコラムで、「同性同士で法律婚できず・・・どんな不利益がある?」と題して下記書かれていた。
・税金の配偶者控除がない
・相手の法定相続人になれない
・子供の親権は共同で持てない
・パートナーが病気になっても家族ではないとして病状の説明を断られることもある
・外国人パートナーに配偶者ビザはでない

なるほどと思ったが、それならば、結婚ではなくこのような権利を保障する制度を別途作ったらどうかと思ったところ、自治体では「パートナーシップ制度」を導入しているところが少なからずあるという。

これは自治体が同性カップルを結婚に相当する関係と認めて証明書を発行する制度のこと。
少なくとも323の自治体が導入しており、自治体により内容は様々だが、これにより家族向けの公営住宅への入居が出来るなどの対応がとられており、また民間でも、証明書があれば配偶者として扱う保険会社などもあるとのこと。
(しかし、法的な効果はなく、法律婚と同じとは言えないとのこと。)

日本の憲法や法律には同性婚をはっきりと禁じる規定はないが、民法や戸籍法には「夫婦」「夫」「妻」という言葉を使っており、実務上同性同士の婚姻は出来ないことになっている。
従って、同性カップルの人たちは、異性婚と同等の権利、保障を求めて、現行の制度は「人権無視」「差別である」とし、憲法に違反していると主張しているようである。

この要求自体は分からなくもないが、やはり当方は同性同士の結婚ということになると不自然さを感じてしまう。
単なる言葉の定義上の問題かも知れないが、私は「結婚」という言葉はやはり異性同士の結びつきを対象とすべきで、同性間では使うのはおかしいと考えている。

同性カップルが異性婚と同等の権利、保障を求めるならば、結婚という言葉を使わなくとも、法律でそれらを保障するものであれば別の名称でもよいのではないだろうか。実際、結婚ではなく事実婚として、国によってその名称や法律の適応範囲は異なるものの、このような形をとっている国は多い。
当方当事者ではないので分からないが、同性婚を認めるように主張している人たちもそれで納得するのではと思うし、同性婚に異議を唱えている人たちも受け入れやすいかと思う。

(注)

事実婚という言葉だが、ここでは次のように定義して使用している。
異性婚 (異性同士の結婚)
同性婚 (同性同士の結婚)
法律婚 (法律上要求される手続きを踏んだ婚姻)
事実婚 (婚姻に準ずる関係)

*法律的には次のような定義が正しいのだろうが、異性関係が前提となっているので、ここでは同性関係でも適用(使用)できるように、敢えて上記のように定義しておいた。
(新聞記事などでも、この点曖昧な形で使用しているケースも見受けられる。)
法律婚 (婚姻届を提出して戸籍上夫婦となっている男女関係)
事実婚 (実質的には夫婦関係にあるといえるものの,婚姻届を提出していないため,戸籍上夫婦とはなっていない男女関係、「内縁」とも言う)

しつこいようだが、なぜ私が同性婚に違和感を持つかというと、これは「自然の摂理」に反すると思うからである。
生物の誕生以降、進化の過程で雄と雌に分化したのは、種族保存にはその方が遺伝面などで都合が良く有利になるということからで、生物学上の観点からすると、婚姻は男女間でなされるものというのは当然のことである。(動物でも例外はあるにせよ(雌雄同体など)、雄と雌という異性同士がペアとなって、種族保存を行っている。)
現行の憲法はこのことを前提として作られ、民法や戸籍法がこれに準じたものであるのは当然のことであろう。
朝日新聞も、「法律婚制度は、男女が子を産み育て、家族として次世代につなぐ関係の保護を目的としてきた。」と述べている。

ところで最初に述べた裁判所の判断はどうだったのだろうか。

裁判所の判決は条文及び過去の判例と照らし合わせてなされるが、条文の解釈で判断が難しいという場合は立法の精神(意図)に基づいて判断するというのが基本である。
憲法24条1項に対しては全ての裁判所が合憲としており、その理由として「異性カップル」を想定しており、同性婚は保障していないとしている。
しかし、憲法24条2項及び憲法14条に対しては、「法の下の平等」「個人の尊厳」ということを重視し、同性カップル法律婚で得られる効果や利益を一切得られない現状は問題があるとして、違憲或いは違憲状態との判断が下されている。
これは近年の社会情勢の変化、同性婚を認める世界の潮流なども考慮したものでもあろう。
そして立法の目的、意図だが、当時は同性同士の結婚などは全く想定していなかっただろうから、現状をどこまで受け入れるか、裁判官はさぞかし頭を悩ませたことだろうと思われる。


さて、この同性婚、社会の変化ということでもう一つ注目されるのがLGBTである。
同性婚についての福岡地裁の判決が出された翌日6/9に「LGBT理解増進法案」が衆院内閣委員会、6/13に衆院、6/16に参院で可決され成立した。
これも賛否両論、大いに新聞紙面を賑わしたが、このLGBTについては別途記述することにする。

 

 

 

外国語教育について

外国語教育について

先月の朝日新聞の声欄の下の「留学生から」というコラムに下記のような投稿があった。

「(李さんは学生ですか)(いいえ学生ではありません。会社員です。)日本語の初中級のテキストは実際に使うことのないような表現ばかりだ。
上級は、頭の中を紆余曲折させる聞き取り問題がある。答えにたどりつくまでに似たような選択肢を罠のように仕掛けてくる。
いずれも不自然に作られた日本語だ。実際に日本人と会話をすれば回避できると思い話してみると、相手の口調はゆっくりとなり、簡単な言葉しか使ってくれなくなる。会話を通して話す力、聞く力を向上させたいのに残念だ。」(一部略)

何故この事を話題にしたかと言うと、私自身常々外国人に対する日本語教育、及び日本人に対する外国語教育(主に英語)に疑問を持っていたからだ。

外国人に対する日本語教育では、かつて海外にある日本人会診療所に勤務する現地人の看護師を日本に招聘して、看護技術とともに日本語も勉強してもらおうという研修に関わったことがあったが、その時の日本語研修を見て、なんでこんなに小難しい研修をするのかと思ったことがあった。
文法では助詞の使い方や、丁寧語、敬語など事細かく教えているので、日本語研修を請け負っている会社の責任者に、言葉など普通に通じればよいのであって、極端に言えば単語の羅列でも良いのではと言ったことがあったが、その時の返事は、病院では患者さんの気持ちが塞がったり、弱ったりしているので、丁寧な言葉使いが必要なのですということだった。
まあ、言われてみればそうかなとも思うこともあったが、それにしてもと言う気持ちは拭えなかった。

一方、日本人に対する外国語(ここでは英語)教育だが、中学校、高校と6年間英語を勉強していながら何故こんなに英語が話せないのだろうか。

これについてChatGPTに聞いてみた。

ChatGPT
「日本人が外国語が下手な理由はいくつか考えられます。以下にいくつかの要因を挙げてみます。

学校教育の重点:日本の教育システムでは、外国語教育の重点が文法や読み書きに置かれることが多く、会話能力の習得にはあまり焦点が当てられていないことがあります。そのため、会話力を養う機会や環境が不足していると言えます。

英語環境の不足:日本では、英語を話す機会が限られていることが一因として挙げられます。日本での日常生活やビジネスの場では、英語を使用する機会が他の国に比べて少ないため、実践的な会話力を身につける機会が制限されています。

文化的要素:日本の文化や社会の中で、英語や他の外国語を必要とする状況が限られていることも理由の一つです。日本語が日常生活やビジネスの主要な言語であり、多くの情報やコミュニケーションが日本語で行われるため、外国語の必要性を感じる機会が他の国に比べて少ないかもしれません。」

以上だが、更に次のような点も考えられる。

・日本人は英語を完璧に話そうとするので、言葉につまったり、出てこなくなったりする。

この理由として、文法的に英語と日本語では順序が逆になり、発音面では外国語には日本語にはないものがあるということも考えられるが、例えば韓国語は文法的には語順は日本語と同じで、発音面でも韓国語にはない発音もある。しかし彼らは日本人より遥かに上手に外国語を話しているので、日本人が外国語がうまく話せないのは、完璧でないと恥ずかしいという気持ちが日本人にはあるからと思われる。
シンガポール人の英語は独特の発音、言い回しでシンギッシュと言われており、またインド人の英語の発音にも独特のものがあるが、彼らは日本人のように臆することなく、ごく普通に喋っている。)

最近TVなどで外国人旅行者でもそこそこ日本語を話す人達を見かけるが、アニメやマンガ、日本の歌などで覚えたという。
私も昔、英語の歌や映画のシナリオなど何度も繰り返して暗唱したことを思い出したが、やはり生きた外国語を習得するにはこれらはよい方法かと思う。

ところで、本日偶々TVで「みんなの手話」という番組を目にしたが、健常者が話している長い言葉をどのようにして素早く手話で通訳しているのかと前から不思議に思っていたところ、謎が解けた。

例えば、「今日見た映画は面白かったね。」を手話にする場合、
「今日見た」=(さっき)
「映画は」=(映画)
「面白かったね」=(面白い)(ですね)
つまり、括弧内の4つの単語を手話で表現しているとのこと。

この場合、複雑な言葉、意味、ニュアンスなどは手話で表現することは難しいだろうが(と思うが)、自分の気持ち、考えを相手に伝えるという面では、これで十分かと思う。

つまり、言葉がお互いの意思疎通のための手段であるならば、単語の羅列でもよいので臆せずどんどん喋ることが必要だと改めて思った次第。