話の種

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日野町事件(冤罪事件)について

「日野町事件(冤罪事件)について」

またしても冤罪事件のニュースである。但し再審決定のニュースなので喜ばしいことではあるが。

朝日新聞の記事によれば内容は次の通り。

「42年前の殺人、死後再審 受刑中死、阪原さん無罪へ 滋賀・日野町事件で最高裁決定」
(2026年2月26日)

1984年に滋賀県日野町で酒店経営の女性(当時69)が殺害され、店の金庫が奪われた「日野町事件」で、強盗殺人罪で無期懲役が確定した阪原弘(ひろむ)さん(故人)について、最高裁第二小法廷(岡村和美裁判長)は24日付の決定で、再審公判の開始を認めた。遺族による再審請求を認めた大津地裁、大阪高裁の決定を支持し、検察側の特別抗告を棄却した。

審理した裁判官3人全員一致の意見。今後は大津地裁で再審公判が開かれる。重大事件の再審公判で有罪となった例はないとみられ、無罪が言い渡される見通しだ。

[事件の経緯]

1984年12月~85年4月 日野町で酒店経営の女性(当時69)が殺害され、金庫が奪われる

*1984年12月 滋賀県日野町で池本はつさんが行方不明に
*1985年1月 池本さんの遺体が町内の草むらで見つかる
*1985年4月 手提げ金庫が町内の山林で見つかる

1988年3月 阪原弘さんを逮捕。金庫と遺体の場所を「案内」
1988年4月 大津地裁が強盗殺人罪で起訴
1988年5月 大津地裁の初公判で無罪を主張
1995年6月 大津地裁が無期懲役判決

2000年9月 最高裁が上告を棄却
2011年3月 阪原さんが75歳で病死、再審請求が打ち切りとなる
2012年3月 遺族が第2次再審請求
2012年10月 検察側が金庫・遺体捜査の写真のネガを開示
2018年7月 地裁が再審開始の決定
2023年2月 高裁が検察側の即時抗告を棄却
2026年2月 最高裁が検察の特別抗告を棄却。再審決まる

[問題点]
「自白の強要」と「証拠の捏造」、「強引な判決」

朝日新聞は次のように述べている。

「自白の矛盾次々、突き進んだ捜査と裁判」

県警が阪原さんを逮捕した決め手は、自白だった。88年3月、阪原さんは朝から晩まで続いた取り調べの3日目に強盗殺人を認めたという。
「店で酒を飲んでいたら、池元はつさん(当時69)の隣に手提げ金庫があるのを見て、急に酒代がほしくなった。後ろに回り込んで両手で首を絞め、遺体を軽トラックの荷台に載せて捨てに行った。戻ってきて日本酒を飲み、夜明けに金庫を持ち出した――」
それが自白の要点だ。だが、矛盾する点が多くあった。

阪原さんは親しい客として知られ、酒代にも困っていなかった。夜明けまで物色したはずが、奪われたのは中身のわからない手提げ金庫のみ。現金のあった他の金庫やレジは手つかずだった。
殺害方法も、馬乗りの状態でないと力が入らないと解剖医が証言した。

それでも大津地裁は95年、阪原さんを「犯人」とした。最大の根拠が逮捕後、金庫と遺体の捨てられた場所を「正確に案内した」とされる点だ。自白の矛盾については「犯人には捜査を混乱させるため、真実と虚偽を混ぜて供述する者がままみられる」と説明を加えた。

「正確な案内」を揺るがせたのが、2012年に阪原さんの遺族が行った再審請求に対し、検察が開示した証拠だった。
もとの裁判で出された捜査書類には、阪原さんが案内する様子を収めた写真があった。だが裁判官の勧告で検察が開示した写真のネガを見ると、金庫の発見場所から戻る際に撮った写真を「行き道」としていたことや、遺体を捨てる予行演習のようなコマが省かれていたことがわかった。

(再審の判断)
地裁は「捜査の経過を正確に記録したものとは到底言えない」と誘導の可能性を指摘。「知人に酒席に誘われてそのまま寝た」というアリバイ主張についても、知人の新証言を踏まえ、「うそとは言えない」と判断して再審開始を決めた。
大阪高裁は23年2に同じ結論を示し、それから3年で、ようやく最高裁の最終判断に至った。


当方が何故これほどまでに冤罪事件を取り上げるかといえば、これら冤罪事件の根源にあるのは、正しく権力側の傲慢さ、面子によるものだからである。

[(現行)再審制度の問題点]

(冤罪事件が起きる理由としては警察による「自白の強要」や「証拠の捏造」などがあるが、再審決定に至るまで、更には無罪判決に至るまで長期に渡ってしまうのは、検察の姿勢及び現行制度に問題があるといえる。)

・検察の証拠開示のあり方:
現在の法律では検察に証拠を全て出させる規則が存在しない。従って検察は自分たちに不利となる証拠は隠したまま出さないこともある。証拠を積極的に出させる裁判官もいるが、徹底していない。

・検察の不服申し立て(抗告):
現在の法律では裁判所が再審決定をしても検察側がそれに異議を申し立てる(抗告する)ことが認められている。従ってこれにより裁判が最高裁の決定まで長期化する傾向がある。(日本の場合、検察の不服申し立ては通常化してしまっている。)

(*最近NHKで「テミスの不確かな法廷」という連続ドラマが放映されたが、これも検察の面子維持により生じた冤罪事件に於いて、再審決定に至るまでの裁判官や弁護士の奮闘を描いたものだった。)

[(現行)再審制度の見直し]

「証拠開示のあり方」と「検察の不服申し立て」については、法制審議会の再審制度の見直し議論でもテーマになったが、結論では開示の範囲は限定され、不服申し立て禁止も盛り込まれなかった。(本答申案については各方面からも問題点が指摘され法案提出までには至っておらず、今のところ見通しも立っていない。)

(「不服申し立て禁止」に反対した人たちの理由は、地裁から最高裁まで争える三審制のもとで確定した有罪判決が、下級審の決定で見直されれば「法的安定性が著しく害される」などということのようだが、ここには無実の人を救うという意識は全く見られず、単に権力側の制度的ヒエラルキーや面子に拘っているだけとしか思えない。)


(*この再審制度の問題点については本日(26/4/3)のワイドスクランブル(TV朝日)でも取り上げられていた。この中では次のような点も指摘されていた。)

・「法制審議会のメンバー」:
多くが検察、警察などの国家権力側の人間であること。
(*弁護士や学者などはいるものの、学者などは国家側の立場に沿った人が多く(所謂「御用学者」)、今回の法制審でも刑事法学者たちは「不服申し立て禁止」には反対し、賛成したのは弁護士たちだけだったようである。)

・「冤罪事件が起こる理由」:
刑事事件の取り調べなどが「人質司法」であること。
(*人質司法:起訴前、起訴後を問わず、自白をするまで長期間身柄を拘束され続けること。)

(*加えて冤罪事件の問題点として、無実の人を犯人に仕立て上げることに注力したが為に、真犯人を取り逃がしているということにも番組では触れていた。)

(参考)

[死後再審の例]
殺人事件では、1953年にラジオ店の経営者が殺害された「徳島ラジオ商事件」で初めて認められた。被害者の内縁の妻が懲役13年とされ、無実を訴えて裁判のやり直しを求める中で死去。兄弟が請求を受けつぎ、80年に再審開始が認められ、その後の再審で無罪とされた。

[死後再審を請求中の事件]
・1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺された「飯塚事件」
・1961年に三重県名張市で5人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」
・1949年に旧国鉄の三鷹駅で電車が暴走し6人が死亡した「三鷹事件」
これらは遺族がそれぞれ死後再審を求めている。
いずれも死刑が確定した事件で、飯塚事件では元被告の死刑が執行され、他の2事件では獄死している。